不定期連載小説
=いごっそう上京グラフィティ=
『ライトスレートグレー』
其の四
赤紫色に肌を染めた六月の空で、太陽と月の勤務交代が行われてた頃、その聞き覚えのある声は、アルタ前の人込みの中から聞こえた。
『ケエスケ〜!』
『ケエスケ〜!お〜い!こっち〜こっち〜』
僕は何度も辺りを見回した。聞き覚えのある声だけが段々近づいて来ているのは分かった。振り向くと、売れない漫才師の様なオレンジ色のスーツに蛍光グリーンのネクタイを絞めた男がニヤニヤしながら真正面に立っていた。
『悪い悪い!コイツの支度が遅れてよ〜』
漫才師の後ろから、照れ臭そうに舌を出した少女がいる。
『あっ、黒木っ・・・』
僕は慌てて、言葉を飲み込んだ。
『チエ・・・?』
いや、そんな訳は無い。チエはあれから、ホイニと付き合い始め、そして別れ、次にヤマッチ、コースケ、と二ヶ月おきに仲間内を渡り歩く、兄弟作りの名人として日々爆進中である。かく言う僕も、先日、餞別代わりにと、その恩赦を受けて、じっくりと脇の奥まで観察して来たばかりである。
『ユキで〜す!はじめまして〜。いつも、モックンから話は聞いてま〜す。』
チエの汚い土佐弁とは比べ物にならない程、流暢な標準語でチエそっくりの少女は挨拶をしてきた。しかし、そんな事より凄〜く気になる事がある。モックンなんて漫才師、見た事も聞いた事も無いし、第一、そんな知り合い持った覚えが無いのである。
『モックン・・・誰?それ?』
僕は思わず突っ込んだ。
『やめや〜っ、コイツの前でソレで呼ぶなって言うたろ〜がっ〜』
少女とは、比べ物にならない程のド汚い土佐弁で話す漫才師が少女を小突く。
『痛い〜!もうっ、モックンすぐ叩くんだから〜。』
『えっ!エビ・・・?』
少女の甘〜い反論と同時に僕は呟いた。推定10Kgは太ったであろう真ん丸なお顔と、取って付けた様な似合わない口髭に僕は本気で、それがエビだと気付いていなかった。
『オイ、モックンとやら。何だいその髭は?それにその凄いセンスのスーツは。都会じゃこんなのが流行ってるのかい?』
僕は、十ヶ月ぶりの再開の感慨に浸る間も無く、皮肉たっぷりにぎこちない標準語で突っ込んだ。
『ケエスケまで言うなやっ!田舎モンには解らんろーにゃ。こういうセンスは。』
いやいや、解りたくない。それが都会人と言うのなら、僕は今日着いたばかりの、この街を今すぐ引き返す。いや、時代ごと引き返し、縄文時代からやり直す。それほどダサい。
エビ君、昔からファッションセンスが近未来的すぎて、なかなか時代が追い付いてくれない。流行の方がエビの異次元センスを見て見ぬ振りをして飛び抜かして行くのである。個性的にも限度があるのだ。
『ほらね。だから言ったじゃない。そのスーツ絶対オカシイって。私も一緒に歩くの恥ずかしいモン。』
予期せぬ味方からの追い撃ちに落城寸前のエビである。
『あのね、ケイスケ君。モックンはモトヒロだからモックンなんだよ。こっちではミンナこう呼んでるの。でねモックンたら、久しぶりのケイスケ君との再開に都会に染まった新しい俺をアピールするって意気込んじゃって〜。ケイスケ君をびっくりさせたくてね、髭も、急に一週間前から伸ばし始めたんだよ〜。』
人見知りと言う言葉を知らない少女が馴れ馴れしく僕の名を正しい発音で呼び、総てを説明してくれた。
『何でオマエは、何でもかんでも、いらん事まで喋ってしまうがな!』
エビは頭を抱えた後、また少女を小突き、恥ずかしいのか、ぶっきらぼうに、僕の両手いっぱいの荷物を半分奪って、長旅で疲れた左手を楽にしてくれた。
『まぁ、無事に着いて何よりや。話しは後でゆっくりできる。とりあえずウチ行こか。』
足早に駅方面に歩き出したエビは、土産袋以外の荷物を少女に強引に持たせ、歩きながらその中身を物色し始めた。
何にも変わってない。その図々しさに僕はちょっと安心したが、同時にその非常識さに、後ろから全速力で飛び蹴りを浴びせていた。
『痛いにゃ〜!何なや〜。いきなり〜!』
『アホか!オマエに上げる土産なんか無いわ。勝手に触んな!ボケッ!』
『えっ、程良い甘さの"野根まんじゅうは?家族のおやつ"キャラメルパン"は?』
『オマエのオカア用とか、これから世話になる人には買うてある。けどオマエには何ちゃあ無い。』
飛び蹴りのお返しか、土産の無い悔しさか、世話になる人リストに入っていなかった虚しさか、子供みたいに単純なエビが、ムキになって蹴り返して来た。おもいっきり脇腹に入ったミドルキックが、都会人を気取ってクールに振るまいたい僕の血を簡単に熱くさせた。
通産戦績34勝34敗7引き分け2無効試合の因縁の戦いが、人でごった返す新宿東口駅前広場で始まろうとした。東京での初戦には持ってこいの場所だ。
臨戦体制の二人に、屈託の無い笑顔で少女が言った。
『会ってすぐケンカとは、ホントに仲が良いんだねぇ。キミタチは?ユキ、妬いちゃうな〜。』
急に照れ臭くなった僕等は、ドンピシャのタイミングで
『冗談やがなぁ〜。こんなん挨拶や、アイサツ。いつもの事や。』
と一字一句ハモりながら、弁明した。
顔を見合わせた僕等は間髪入れずに叫んだ。
『あ〜っ!おいもっ!』
今度は笑いながら、俺が先だ、い〜や俺だと、先程迄の険悪ムードなどすっかり忘れて小競り合いする二人に、少女は不思議そうに訪ねた。
『な〜に?おいもって?』
二人はまた同時に言った。
『はぁ〜?おいもは、おいもやんか。おいもも知らんがか?都会のネエちゃんは。』
脳みそが蒸し芋みたいな説明下手のエビに代わり、僕が優しく少女に教えてあげた。少女はすぐに理解できたらしかったが、一人狂った様に笑い転げていた。
『なんや、なにがそんなに可笑しい?』
エビの言葉に、顔面が痙攣したまま少女は答えた。
『だってそれ、ハッピーアイスクリームの事でしょ?おっ、お、おいもって!アハハハハハ!田舎臭ぇ〜っ!おいも!アハハハハハ!おいも!アハハハハハ!』
ハッピーアイスクリーム??
少女の明らかに田舎モンを見下した笑いに多少の苛つきはあったモノの、始めて聞くそのB級アイドルソングの様なフレーズに、頭の中でメリーゴーランドが回り出した二人に、今度は涙まで流し悶え苦しんでた少女が、落ち着きを取り戻しながら優しく説明してくれた。
『と、言う事!二人共、分かった〜?こっちでは、そーやって言うんだよ〜。』
エビのアパートがある高円寺に向かう中央線の中でも、少女は針の飛んだ傷んだレコードの様にずっ〜と、"おいも" "おいも"と繰り返し呟いては笑っていた。
そんな日野日出志の漫画に出て来そうなくらい壊れてしまった少女には聞こえ無い様に、僕はそーっとエビに聞いてみた。
『なぁあの娘、チエに・・・』
全部を聞く迄も無くエビは答えた。
『似〜ちゅうろ〜。俺も最初びっくりしたもん。同じバイト先の娘でよ。ケエスケにもびっくりさせよ〜と思って電話では黙っちょった。けど、ユキにはチエの事は内緒ぞ!別にチエの代りに付き合いゆう訳や無いしよ。』
ニヤケながらも、最後だけはマジ顔で内緒話を締めたエビに、この恋の本気度と健気な強がりを感じた僕は、そうかチエの事はもう吹っ切れたのかと強引に思い、お返しに現在のチエの内緒話をこれでもかとしてあげた。何故か、段々と無口になっていったエビは、高円寺の駅に着いた頃には意識朦朧、家に着いた時には仮死状態になり、生気を完全に失ったかの様に、二人を放ったらかし早々と寝込んでしまった。少女もエビの自分勝手な行動には慣れてるのか、大した心配もせずに、僕の為にかなり濃い目のオムライスを作ってくれた。親友のヘコむ姿は最高に面白い。ミドルキックの恨みをまだ忘れて無かった、根に持ちやす〜いタイプの僕は、効果的な反撃に満足感を感じていたが、必然的に話す相手の居なくなった無邪気なお喋り少女ユキの子守役となり、旅の疲れを癒す間も無く、エビの高知時代の話を根掘り葉掘り聞かれ、エビへの愚痴や東京生活のレクチャーなど、オムライスを3回もおかわりさせられたケチャップまみれの胃袋を摩りながら、灰色の夜が明けるまで延々と付き合わされるのだった。